佐賀旅、第二回目は砥部焼という焼きものの町出身ながら、伊万里で独立し作陶している陶芸家の渡邊心平さんを訪ねました。美しく繊細ながら、懐かしさも感じる渡邊さんの花鳥風月の世界は、どのように作られているのかを紐解いていきます。
渡邊心平さん @tatadou_
1982年 愛媛県生まれ
2009年 佐賀県立有田窯業大学校卒業
2013年 陶磁器製造会社勤務を経て、佐賀県伊万里市にて独立
自分探しの旅の途中に見つけた、焼きものを仕事にしようという想い
行方:以前こちらにお邪魔した時に、渡邊さんは砥部出身でご実家も焼きものを作っていらっしゃると伺いました。小さい頃から陶芸家になろうと思っていたのでしょうか?
渡邊さん:実家が焼きものをしているからといって、「焼き物を仕事にしよう」と考えたことはありませんでした。とはいえ、焼きものの産地に生まれ、両親共に焼きものを作っていたので、毎月窯を焚いたりする焼きもの屋を営むというのが特別なものとも思ってはいませんでした。
他にやりたいこともなかったので、高校を卒業して2年くらいは自分探しのため、ふらりと石川県で一人暮らしをしていました。元々、美術や工芸、古いものに興味はあったし、金沢の街の雰囲気も好きだったので。ちょうど21世紀美術館ができた時だったので、通い詰めましたね。「これから、自分が何をして生きていくのかを決めたい」と思いながら過ごしていたある日、たまたま訪れた九谷焼資料館で古九谷に出会いました。グッと心を掴まれた感覚があって、そこから焼きものの仕事をしようかなと考え始めるようになりました。
ずっと好きな初期伊万里の産地、有田窯業大学校へ
渡邊さん:石川県から戻ってきたら、父親から『焼きものをやりたいんだったら、有田か多治見に専門の学校があるから、行ってみたらどうか』と言われ、受けてみることにしたんです。焼きものをする砥部の人たちは、どちらかで勉強する人が多いんですよ。
行方:有田窯業大学校は入学試験はありますか?
渡邊さん:あります、あります。算数と……
行方:算数!
渡邊さん:あとは、デッサンです(笑)。僕が受けた時は定員ギリギリだったので、試験に落ちたのは一人程度だったと思います。
行方:それは、落ちたくないですね(笑)。なぜ、多治見ではなく有田窯業大学校を選んだのですか?
渡邊さん:古九谷に出会い、その後李朝の白磁が気になるようになり、元々初期伊万里が大好きだったので、迷いなく有田にしました。専門課程が2年、その後、轆轤(ろくろ)科に1年通いましたね。染め付け、色絵が大好きで自転車で窯をまわりながら勉強もしました。
焼きもので生活ができればいい、と職人を目指したけれど。
窯大を卒後、砥部に戻り、地元の歴史ある窯元で働いたものの続かず、友人も多い有田に戻ってきた渡邊さんは、有田でも窯元に就職します。この時は特に作家になろうという気持ちもなく、焼きものに携わる仕事ができれば、ずっと職人でいいと思っていたといいます。
渡邊さん:職人でもいいかなと思ったのに、2度もチャレンジしたのにダメでしたね。それこそ、こういうものが作りたいっていう意思ははっきりしていなくて、焼きもので生活できたらいいなという程度に思っていたんです。
行方:いつから今の作品のようなもの作りになったのですか?
渡邊さん:なんかこう、作家みたいな形でやりたいなって思ったのは結構最近のことなんです。窯元での仕事をやめてからは、クラフトマーケット出品したりしてました。そこでお声がけいただいたギャラリーさんで展示させてもらったりして地道にやっていたんのですが、今は作家として頑張ろうと思っています。
行方:えぇ!心平さんは立派な作家さんですよ!心平さんは、本当に野心がない、なさすぎます(笑)。
渡邊さん:どうやったら暮らしていけるのかなと考えて、クラフトマーケットにいくつか参加させていただいているうちに、なるようになってきた感じです。ただ、最近になって、何もないかと思っていましたが、やっぱり自分にはやりたいことがあったんだということです。
好きなものは、ずっと同じ
行方:やりたいことがあって、それが全くぶれてなかった。ずっと変わらず、初期伊万里を思い続けていたということですよね。
渡邊さん:そうなんです。やりたいことは最初からずっと一緒だったのですが、それをどう言葉で表現して良いのかが、あまりよく分かってなかったんだと思います。窯元に勤めていた時は、日々ヘトヘトになるまで仕事をしていたので、自分のことを考える時間も、自分のものを作ることも全くできませんでしたし。
クラフトマーケットで売れるような器は、安くてカジュアルなものが主流ですよね。時間をかけてしっかり絵付けした器を作っても、若いうちは値段がついてこない。1万円などの高額の値段をつけてしまったら、買ってくれる人はいるんだろうかと不安に思っていました。作りたいものと手間と金額との折り合いがつかず、どう表現していいものか分からなかったんだなと。でも最近になって、やっと自分を分析できたし、私が作りたいと思うような作品たちの市場もちゃんとあるということがわかりました。ずっとやりたいことは変わっていないので、このカテゴリーで頑張ろうというのが見えてきました。
古九谷から李朝、そして初期伊万里への想い
穏やかで柔らかい空気を纏っている渡邊さんですが、作品にもそのお人柄がよく現れているように感じます。中国の様式と日本の美意識が上手く重なり合った渡邊心平さんのうつわは、絵付けと余白のバランスが絶妙です。当時の不純物が混じる土によって備わる風合いに目を向けて作られたうつわに、容姿端麗で艶やかな色絵。土づくりや薪窯の基礎を学び古陶磁への思いを積みかさね、染付けから上絵付けと、徐々に懐石のうつわ作りに傾倒しながら、その美しさに磨きをかけてきました。
行方:初期伊万里のどんなところに惹かれていますか?
渡邊さん:李朝白磁の造形の中に、李朝の素地やかたちの魅力も備わっていて、そこに景徳鎮からきた模様がさらりと描かれているところに魅力を感じています。形も魅力的だから、シンプルな模様が生きてきていると思います。簡素な模様に日本人が日本人なりに咀嚼した中国の空気のようなものも感じます。なんというか、初期伊万里には自分の好きなものが全部詰まっているんです。
行方:今、うつわを作る時に大切にしていることはどういうことですか?
渡邊:絵付けももちろん大切なのですが、やっぱり焼きものを作っているという感覚は大切にしていきたいと思っています。うつわを作る時だけでなく花器にしても茶器にしても、日本では手に持って使うことが多いですよね。なので、手に持った時の感覚や口につけた時の感覚を意識して、そこを大事に制作しています。
行方:料理人からの制作依頼も多いと思うのですが、その際はどんなことに気を付けていますか?
渡邊:用途を想像してご依頼をいただいていると思いますので、ご希望に沿ったものであることや使い勝手の良さはもちろんですが、いただいた課題の中でできるだけ自分の表現が感じられるように作りたいと思っています。
作家として、佐賀県という土地の魅力とは。
行方:心平さんは愛媛、窯大で知り合った奥さまも佐賀の方ではないですよね。独立する時に、佐賀ではない選択肢ってありましたか?作家として、佐賀はどのような場所だと感じていますか?
渡邊:特に唐津はとても良い環境だと思います。コミュニティもある程度あるので、アシスタントの時からギャラリーの皆さまにも知られていたりするし、独立と共に個展ができたりもしますし。作家として活動するには、唐津の環境はめちゃめちゃ良いと思います。染め付けの有田伊万里に関しては、大きい企業があるからそちらに注目が行きやすいのかなと思ったりはします。なので、個人作家は少し野良感があります(笑)。
とはいえ、やはり材料にも恵まれているし、何といっても佐賀県立九州陶磁文化館の柴田コレクションが近くにあるということが魅力的です。窯大の時からよく見ていましたが、ふらりと行っても、いつも何かしらの気付きがあります。3年前にリニューアルされたメイン展示室では、有田焼のはじまりから現代技術を駆使した最新の有田焼まで、時代ごとに6つの小部屋に分かれていて、焼き物について初心者の方から詳しい方まで有田焼について多くのことを知る事ができます。事前にお願いすれば現物を見せてくれたりするので、良いものを直接見ることができる環境は素晴らしいです。
行方:学べる環境が近くにあると、生活が豊かになりますよね。
作家としては、渡邊心平本名で活動していらっしゃいますが、奥様とお二人では「只々堂窯」と名乗られています。「たたどう窯」と読むのですが、風が吹く時の音 (たたたた…、どうどうどう…) をイメージして決めたそう。現在、子育て真っ只中の心平さんですが、近い将来は奥様も作家として二人で作家として活動していけたらと話してくれました。
行方ひさこ @hisakonamekata
ブランディング ディレクター
アパレル会社経営、ファッションやライフスタイルブランドのディレクションなどで活動。近年は、食と工芸、地域活性化など、エシカルとローカルをテーマにその土地の風土や文化に色濃く影響を受けた「モノやコト」の背景やストーリーを読み解き、昔からの循環を大切に繋げていきたいという想いから、自分の五感で編集すべく日本各地の現場を訪れることをライフワークとしている。2025年より福岡県糸島市にて「科学の村」をつくるため、学術研究都市づくりに参画。阿蘇草原大使。
Interview & text Hisako Namekata
Photo by Koichiro Fujimoto









