第4回目は、現代アートやストリートカルチャーの要素を取り入れ、独自のスタイルで陶芸の新しい在り方を探求し続けている陶芸家 井上祐希さんにお話を聞くため、井上萬二窯を訪れました。1995年に重要無形文化財指定(人間国宝)となった陶芸家 故井上萬二さんを祖父に持ち、窯の3代目として伝統を継承している井上さんの、唯一無二のものづくりに込めた想いを伺います。
井上祐希さん @mr_inoue_yuki
1988年に佐賀県有田町生まれ、祖父の井上萬二氏に従事し陶芸家へ。現在は、井上萬二窯3代目当主を務めながら、有田焼の発展を目的としたファッションブランドなど異業種とのコラボレーションを積極的に展開。伝統の中に遊び心あふれる作品が人気の次世代を担う陶芸家の1人。
ファッションとストリートカルチャーと
井上さんの作品をはじめて拝見したのは、ファッションブランドのために別注した招き猫でした。愛らしさもありつつクールなその招き猫が井上さんの作品だと聞き、どんな方なのか興味を持ちました。その後、ファッションやインテリアなど幅広く活躍している知人のアトリエでも、その知人が別注した井上さんの豹柄のお皿たちに出会いました。
その後、私がディレクションを務めている企画展にご出品いただき、別注ではない井上さんオリジナル作品たちと出会うことになります。一般的に認知されている有田焼でも、デザイナーさんが別注でデザインした有田焼でもない「ファッションとストリートカルチャーの香りを纏った遊び心のあるアート作品」というのが、私の井上さんの作品への第一印象です。
行方:東京での企画展でご一緒させていただき、在廊していただいている時に、本当にたくさんのお友達が遊びに来てくださっていたのが、とても印象的でした。
井上さん:大学4年間と社会人を少し、合計5年間ほど東京で生活していたので、東京に友人は多いです。
行方:なぜ東京の大学を選んだのですか?
井上さん:父が「とりあえず東京に行ってこい」と言うので、高校卒業後、東京の大学に進学を決めました。とはいえ、どこに行けばいいのか分からなかったので、芸術学科もある母親の母校に通うことにしました。
行方:いつかご実家を継ぐことは考えていましたか?
井上さん:はい、物心がつく前から陶芸に囲まれて育ったので、自ずと陶芸に愛着を持っていました。祖父や父を尊敬していますし、修行をして家を継ぐのは自然な流れでした。
大学を卒業して、その後1年だけファッション業界で働いてから実家に戻りました。大学を卒業したら、実家に帰ることは決めていたのですが、少しだけでもファッションに携わる仕事をしたいなと思ったので、大学時代からアパレルでバイトをしていました。ファッション自体も好きですが、その背景やカルチャーを感じられるものが好きですね。
実家に戻り祖父に弟子入りして、初めは修行のようにただひたすら土をこねていました。もちろん、今でもまだまだ若手ですし、ひたすらこねています(笑)。
いつでも挑戦を。
若い頃から当たり前のように井上萬二窯を継ぐことを期待され、素直にその道を歩んでいる井上さん。有田焼という伝統をつないでいきたいという想いと、そこに自分の好きなものを取り入れたら、もっと楽しくなるのではないかと思ったといいます。白磁の美しさを活かした造形を示し、その新たな可能性を切り開いたことで「究極の白磁」と称される人間国宝の祖父を持つとなると、プレッシャーもあると思いますが、ご自身の想いと個性を活かして伸び伸びとした作品づくりをされています。
行方:お祖父様が人間国宝ですと、周りから色々言われることも多かったのではないかとお察ししますが、そのお立場で、王道の有田焼、白磁というクラシカルな道を選ばれなかったのはなぜですか?
井上さん:そうですね。小さな頃から「3代目になるのかな?」とか「将来は人間国宝にならなきゃね。」などと言われてきました。それがとてもイヤだったので、「自分らしさとは何か」「自分だから作れるもの」「自分が作る意味」とか、そういうものを大事にしたいと思ったんじゃないですかね。
陶芸を始めた頃はクラシックな有田焼を作ることに楽しさを感じられず、これではやっていけないのではないかと悩んだ時もありました。だったら、好きになるように自分が好きなものやワクワクするものを取り入れていこうと。なので、選んでいないというわけではないんです。どんな道も間違っているのではないかと疑わずに、様々な道を進んだり戻ったりまわり道したいと思っています。
父が60ちょっとで亡くなったのですが、みなさんが「まだまだこれからだったのにね。」と言ってくださったんです。一般の会社は55歳くらいで早期退職する方もいるのに、陶芸家は60歳でまだこれからなんだ!と目から鱗でした。僕は、まだ30代で若いですし、60代になるまでに上も詰まっているので、まだまだたくさんのチャレンジをしていこうと。とはいえ、先日95歳で亡くなった祖父がバリバリの現役でなくなってからは、早く良いものを作らなくては!と思っています。
行方:ワクワクしながら作っていらっしゃるのが伝わってきます。ブランドからの別注なども多いと思うのですが、どのようなバランスでものづくりをされていますか?
井上さん:個展をする際に、「こういうものを作ってほしい」というオファーや、個人の方からのご依頼もあります。ただ、今は自分で作りたい作品に向かい合っている最中でやることが増えているので、個人オーダーはなかなかお受けできていない状況ではあります。でも、時間さえあれば、いろんなオーダーに応えていきたいと思っています。ただ、気分が乗る乗らないという感情的なものもありますし、先に片付けたいものがあったりと、その時その時によって色々あります。臨機応変に合わせて、そこに気持ちと手を向かせていかなくてはいけないということは、結構大変だなと感じる時もあります。とはいえ、様々なヒトモノコトと関わることで表現や窯のブランド、自分自身が人間としての幅や厚みを出せることもありますし、ご縁を大切に思っています。何より自分が楽しみたいですしね!
「われもの注意」に込められた想い
行方:有田焼にステッカー風の「われもの注意」モチーフを載せたシリーズは、とてもインパクトがありました。作るに至ったきっかけを教えてください。
井上さん:まず、文字が好きなんですよ。特に日本語と漢字が好きです。「われもの注意」シリーズは、いつも見慣れている段ボールに貼ってある、そのシールがとても気になる存在だったんです。真っ赤だし、すごいメッセージを発しているし。そもそも、こういうチョイスって、本来割れ物である器にはないなと思っていました。そして、ふと「われもの注意」の文字を器に載せてみようかなと思ったんです。
ものを見るときに、そのものが発信している問いはどういうものだろうとか、どうしたら新しい価値を与えられるだろうかと考えるんです。そして、それが焼き物でできたらいいなと常に考えてみるんです。
行方:今まで作ったことがない技法の作品を作ることになったと思いますが、スムーズに行きましたか?
井上さん:技術的なことが全くわからなかったので、色々と調べました。最初は、上絵の転写の仕方も焼く方法も分かりませんでした。転写シート屋さんを調べてそこに連絡をしました。窯の名前でこんなことを頼むのは、少し恥ずかしさもありましたね。
でも、もしこの「われもの注意」という作品を作ってみようと思わなかったら、新しい技法について調べなかったと思いますし、転写屋さんとのやり取りも一生なかったかもしれない。だから、やってみたいなと思ったら、まずはやってみること。チャレンジすることは全て勉強ですし、成長につながると思っています。
師匠である祖父もそうでしたし、周りの方々もみなさん楽しんで大らかに見守ってくださっているのがとてもありがたいです。
われてはいけない、大切なものとは。
行方:ピースマークはどういった作品ですか?ポップで可愛いですね。
井上さん:あの作品は、「ピースマーク」と「ハート」と「スマイル」があり、それぞれに割れてはいけないものをモチーフにしています。平和と愛と笑顔は、誰しもが大切にしているもの、それを割れる素材で使って、縁に「われもの注意」のテープが貼ってあるという作品です。壊れやすいけど割れてはいけないものだから、いつも注意をしてしなくてはいけないよと意味を込めています。
行方:壊れやすいものだからこそ、大切にしなくてはいけない…人としてとても大切なメッセージが込められているんですね。当たり前すぎて忘れがちなことですが、もちろん忘れてはいけないことでもありますし、これは大切な人に贈りたくなります。万が一、割れてしまっても、きちんと金継ぎして修復して大切にしたいですね。
幼い頃から、自分の環境とは異なるものに憧れたと井上さんは言います。日常生活にある固定観念に常に疑問を持てるものが好きで、自由な発想を大切にしているそう。窯の特徴である白磁の美しさを引き立てる表現でありながら、祖父・萬二氏の完成された造形美とは全く異なる方向性の作品たち。「様々な有田焼の軸を探ってアップデートして自分らしく楽しんでいきたい。」伝統と今の感性をつなぎ、ユーモラスで新たな境地を突き進む井上祐希さんのまっすぐで温かい心が作り出すこれからの作品たちが、世代を超えてさまざまな人の心に届くことを願っています。
行方ひさこ @hisakonamekata
ブランディング ディレクター
アパレル会社経営、ファッションやライフスタイルブランドのディレクションなどで活動。近年は、食と工芸、地域活性化など、エシカルとローカルをテーマにその土地の風土や文化に色濃く影響を受けた「モノやコト」の背景やストーリーを読み解き、昔からの循環を大切に繋げていきたいという想いから、自分の五感で編集すべく日本各地の現場を訪れることをライフワークとしている。2025年より福岡県糸島市にて「科学の村」をつくるため、学術研究都市づくりに参画。阿蘇草原大使。
Interview & text Hisako Namekata
Photo by Koichiro Fujimoto









