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2025.03.24

伊万里焼の歴史と未来に向き合う 「文祥窯」馬場光二郎の器に宿る“あるがまま”の生命力

焼きものを焼くことは、土を二度と自然に戻らない物質に変化させる行為。

僕が器をつくることは、地球を消費していることになるんじゃないかという引け目は、いつもどこかで感じています。

だからせめて“石がなりたい器”をつくってあげようと思っています」 

(文祥窯 3代目 馬場光二郎)

 

かつて伊万里・有田の器が世界へと積み出された伊万里港を見下ろす高台にある工房には、静かにろくろに向き合う背中があった。手の中でなめらかに形を変えていく粘土はまるで意志を持っているかのように、するすると器になっていく。

その手の中にあるのは、伊万里・有田焼の原点である泉山で採取した陶石だけでつくられた陶土だ。

日本有数の焼物の産地として知られる伊万里・有田。その歴史は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、朝鮮半島から陶工を連れ帰ったことに始まる。その後、17世紀初頭に有田〈泉山(いずみやま)〉で良質な白磁鉱が発見され、日本初の磁器の大量生産が始められたと伝えられている。

〈▲ 伊万里・有田焼のルーツを求め、泉山よりも古いとも言われる竜門峡にも足を運ぶ。そこで採掘した陶石で試作した器には初期伊万里そのままの雰囲気が蘇った〉

泉山の陶石を原料とした当時の伊万里・有田焼の特徴は、透き通るように白く滑らかな磁肌。染付や青磁、のちには酒井田柿右衛門らが考案した赤や緑、黄などの絵付け技法と、その製法はみるみる進化を遂げ、ヨーロッパの王侯貴族を中心に世界で愛される存在となった。

磁器の源流を築いた泉山の陶石だが、その性質は粘り気が少なく扱いづらいうえに、鉄分含有量の多さのため精製に手間がかかる。ゆえに伊万里・有田の磁器の原料は、次第により白く成形が容易な天草陶石へと移り変わり、現在では泉山の陶石を使う陶工はごくわずかだという。

そんななか、日本の磁器のルーツである泉山の陶石にこだわるのが文祥窯3代目の馬場光二郎だ。そのこだわりは、あまりに深い。

泉山磁石場に出向き、自らの手で石を掘り出し、粉砕・撹拌して粘土にする。本来分業制で成り立つ窯業にありながら、専門業者が担う工程も自身でやり切る。作陶、絵付け、窯入れなどの工程もすべてをひとりで担いながら器づくりに取り組む馬場の器は、そのストイックさとは裏腹に、儚く、美しい。

彼は泉山陶石になにを見出し、惹かれ、表現し続けているのか。穏やかな人柄の内に秘める覚悟と情熱を紐解く。

馬場光二郎/ばば・こうじろう。1980年伊万里市生まれ。文祥窯3代目。2002年より家業を継ぐ。九州陶磁文化館で出会った古伊万里に魅せられ、伊万里焼草創期の製法を探求。有田・泉山の陶石を自ら採石し、製土からろくろ、絵付け、焼成まですべての工程をひとりで行う。素材の石の持ち味を尊重し〈綺麗に仕上げてしまわず、なりたいように。〉という思いでつくられる器は、釉薬のムラや焼き上がりの際にできる黒点の存在も器の個性とした独特な佇まいが特徴。数多の料理人からのオーダーが入るほか、東京や海外での展示会でも好評を博している。

 

始まりの地、伊万里で器をつくる意味

祖父の代から続くこの窯を継いだときはまだ、生業として卸問屋へ“製品”を納める家業が中心だった。

黙々とろくろに向かう時間は自分の心と向き合う時間でもある。日本初の磁器が生まれた伊万里で器をつくる意味はなんなのか。自分は一体なにがしたいのか。

心の奥に引っ掛かっていたのは日本初の磁器である伊万里・有田焼の原料を掘り出した鉱山・泉山の存在だった。足繁く通っていた九州陶磁文化館で触れた400年前の初期伊万里が持つ独特なエネルギー。当時の「白」は現代の磁肌には程遠いが、拙さを漂わせる素朴な佇まいからは底知れない生命力を感じた。

「この素朴な色合いと力強さを持ち合わせた器を、自らの手で生み出してみたい」

磁器草創期に心血を注ぎ格闘していた先人たちの姿に憧れ、昔ながらの技法を継承する泉山の石での作陶がスタートした。

 

なにも足さず、なにも引かず、“なりたい器”になるように

〈▲ 採石した泉山陶石。置いておくと褐色になることからも、多くの鉄分を含んでいることがうかがえる〉

いにしえの陶工たちはどのような思いで、山に向かい、理想の石を探したのだろうか。追体験するために始めた“石探し”は、やがてライフワークとなっていった。

工房の裏手には自らで掘り出した泉山陶石が積まれ、粘土をつくるためのさまざまな機械が並ぶ。数十時間かけて砕いた陶石をふるいにかけ、粉状になったものから粘土にしていく。脱鉄機にもかけるが、取り除いた鉄分すら釉薬として使うなど、石の成分を余すことなく使い切るのが彼のやり方だ。圧力をかけ水分を絞った粘土は、最後に空気を抜きながら練ってようやく成形用の粘土になる。

〈▲ 失敗も多く手間もかかる土づくりだが、そのすべてを自分の手で行えることを「贅沢だと思う」と語る〉

「通常、白さを求める磁器の粘土は石の“いい部分”だけを使ってつくるんですね。そのために削った不純物が産業廃棄物として捨てられてしまう…そこに僕は違和感を感じちゃうんですよね。そもそも石そのものが〈純粋〉な状態だと僕は考えていて、それをこちらの都合で選り分けることは人のエゴなんじゃないかと思う。だから僕は純白を求めないし、できるだけ石を磨かない方法で、理想の粘土を自分でつくることにしたんです。石を無駄なく使い切って完結することが泉山陶石との自分なりの向き合い方で、この石を使う意味だと信じています」

またその思いの中には、限りある〈泉山陶山〉という資源を選んだことへの葛藤と覚悟も込められている。

「今の泉山は静かに役目を終えている場所。山としての面影を失うほど掘り尽くされてしまった山の姿を目の当たりにすると、この石を使う歴史的、文化的意義を強く感じている自分でさえ “この石を使っていいのか。ここに眠っていた方が石は幸せなんじゃないか”とためらいが生まれます。そもそも焼きものを焼くことは、土を二度と自然に戻らない物質に変化させる行為。僕が器をつくることは、地球を消費していることになるんじゃないかという引け目は、いつもどこかで感じています。だからせめて“石がなりたい器”をつくってあげることが、僕にできることだと思っています」

伊万里という地で窯元に生まれた自分は、400年続く焼きものの歴史のリレーの中に身を置くひとり。その責任を〈石の特性を最大限に生かすものづくり〉というかたちで引き受ける。

そしていつか自分のように泉山の石を使いたいという陶工が現れた時のために、あえて良石を採掘しないことで泉山の存在をできるだけ長く残し、未来にバトンをつなぐ責任も果たしたいと考えている。

泉山陶石の持つ性質を自らの個性とした文祥窯の器は、含まれた鉄分のため青白く幽玄な磁肌を持つ。精製しないために現れる黒点や手しごとゆえの成形時の歪み、釉薬をかけた時の指跡や色ムラもすべて“石がなりたい”自然体の姿だ。そこには、ひとつの山の命を預かる覚悟と強さを秘めた美しさがある。

食べ終わりの美しさを目指した“引き算”のものづくり

文祥窯の器は、鳥羽周作シェフが手掛ける東京・代々木上原のレストラン〈sio〉、オープンから約半年でミシュラン二つ星を獲得した鮨店〈東麻布 天本〉、同じくミシュラン二つ星の日本料理店〈傳(でん)〉、渥美創太氏がオーナーシェフを務めるフランス・パリの一軒家レストラン〈Maison(メゾン)〉、LVMHグループのホテル〈シュヴァル・ブラン パリ〉の日本料理店〈Hakuba〉など、国内外さまざまなジャンルの有名店で愛用されている。

一流料理人を惹きつけるのは、文祥窯の器づくりが北大路魯山人の「器は料理の着物である」という格言を体現しているところにも通ずる。

「盛り付ける料理や空間、食べる人を引き立たせる裏方に徹したいと思って、僕は器をつくっています。料理人の方も料理を作って完成ではなく、どう食べているか、残さず食べたかということを見ていると思うんです。僕も器だけで完成ではなく、料理が盛りつけられた姿、さらに言うと食べ終わりの姿が大事だと考えていて。たとえば器の中心をあえて深くして、食べ終わった時のソースが真ん中に静かに収まるような“終わり方”が素敵だし、美しい。絵や模様もなるべく主張せず背景になるようにつくって、ちょっと残った肉汁で模様の濃淡が浮き立ち、絵や模様の存在に微かに気づいてもらえる、それくらいがちょうどいいんです

主張しすぎず、ちょっと足りないくらいが使いやすく心地いい。それらは多くの料理人とのコミュニケーションで求められているものを敏感に感じ取り、かたちにしてきた彼なりの引き算のものづくりであり、美学である。

〈▲ 絵付けを終え窯入れを待つ器たち。白と青だけだった作品に最近では赤絵も加わり、文祥窯の新しい一面を見せている〉

しっとりと手に馴染む磁肌、料理をひき立てる柔らかな白、凛とした中にもぬくもりを感じる絵柄、控えめで品のある紋様――。

ひと皿ごとに違う表情を持つ文祥窯の器を手にすると、その自然さ、穏やかさに心惹かれ、そこになにを盛ろうか、どんなシーンで使おうかと想像力がかき立てられる。

器は飾るものではなく使ってこそ。嬉しい時でも気持ちが沈んでいる時でも使いやすい器でありたいと思っています。料理を楽しむ場の空気感を少しでもいいものに変え、気持ちを一段階上げるような存在となることが、僕が願う器の姿です」

 

取材・文/岩井紀子

撮影/水田秀樹

【文祥窯】

住所:佐賀県伊万里市二里町大里甲1561-22

https://bunshogama.com/

馬場 光二郎

馬場 光二郎

文祥窯 3代目

1980年伊万里市生まれ。2002年より家業を継ぐ。九州陶磁文化館で出会った古伊万里に魅せられ、伊万里焼草創期の製法を探求。有田・泉山の陶石を自ら採石し、製土からろくろ、絵付け、焼成まですべての工程をひとりで行う。素材の石の持ち味を尊重し〈綺麗に仕上げてしまわず、なりたいように。〉という思いでつくられる器は、釉薬のムラや焼き上がりの際にできる黒点の存在も器の個性とした独特な佇まいが特徴。数多の料理人からのオーダーが入るほか、東京や海外での展示会でも好評を博している。

STORY

佐賀の豊かな自然と対話しながらこだわりの食材を生み出す生産者たち

400年以上続く伝統と技術を受け継ぎながら器づくりに向き合う作り手たち

料理人

佐賀の「食」と「器」の価値を引き出すことのできる気鋭の県内料理人たち